長野地方裁判所上田支部 昭和27年(ワ)65号 判決 1954年4月13日
東京都豊島区巣鴫六丁目千三百四十九番地
原告
山洋電気株式会社
右代表者代表取締役
山本秀雄
右訴訟代理人弁護士
湯原規雄
上田市大字上田三千三百三十二番地
被告
湶松尾
右同所同番地
被告
宮尾抦沙
右同所同番地
被告
小塩寿年
右同所同番地
被告
小山市太郎
右同所同番地
被告
山崎喜六
右同所同番地
被告
甲田德男
右同所同番地
被告
田畑武雄
右同所同番地
被告
吉山三郎
右同所同番地
被告
金子豊治
右同所同番地
被告
待井安衞
右同所同番地
被告
古家光男
右同所同番地
被告
久保島長十郎
右同所同番地
被告
佐藤天朗
右同所同番地
被告
鈴木武雄
右同所同番地
被告
中曾根将夫
右被告十五名訴訟代理人弁護士
渡辺元
右当事者間の昭和二十七年(ワ)第六十五号及び第六十九号社宅明渡請求事件について当裁判所は、昭和二十九年二月二日終結した口頭弁論に基き次のとおり判決する
主文
原告に対し
被告小塩寿年は上田市大字上田三千三百三十二番地所在木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて右側一戸建坪十二坪を明渡し且つ昭和二十七年九月以降昭和二十八年六月迄一カ月金二百七十円、同年七月以降右家屋明渡済に至る迄一カ月金四百六十九円の各割合による全員を支払え。
被告田畑武雄は右同所同番地所在木造瓦葺平家四戸建建坪三十坪の内向つて左より二戸目一戸建坪七坪五合を明渡し且つ昭和二十七年九月以降昭和二十八年六月迄一カ月金百六十八円、同年七月以降右家屋明渡済に至る迄一カ月金二百九十八円の各割合による金員を支払え。
被告古家光男は右同所同番地木造瓦葺平家建建坪三十坪の内向つて左より二戸目一戸建坪七坪五合を明渡し且つ昭和二十八年十月以降右家屋明渡済に至る迄一カ月金百六十八円の各割合により金員を支払え。
被告久保島長十郎は右同所同番地木造瓦葺平家二戸建建坪十八坪の内向つて左側一戸建坪九坪を明渡し且つ昭和二十七年九月以降昭和二十八年六月迄一カ月金二百八円、同年七月以降右家屋明渡済に至る迄一カ月金二百七十四円の各割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する
訴訟費用は原告と被告小塩寿年、田中武雄、古家光雄、久保島長十郎間においては被告小塩寿年、田畑武雄、古家光男、久保島長十郎の負担として、その余の被告と原告間においては原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「原告に対し被告湶松尾は上田市大字上田三千三百三十二番地所在木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて右側一戸建坪十二坪を、被告宮尾抦沙は右同所同番地所在木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて左側の一戸建坪十二坪を、被告小塩寿年は右宮尾抦沙と同一建物の内向つて右側一戸建建坪十二坪を、被告小山市太郎は右同所同番地所在木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて左側一戸建坪十二坪を、被告山崎喜六は右同所同番地所在木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて左側一戸建坪十二坪を、被告甲田德男は右山崎喜六と同一建物の内向つて右側一戸建坪十二坪を、被告田畑武雄は右同所同番地所在木造瓦葺平家四戸建建坪三十坪の内向つて左より二戸目一戸建坪七坪五合を、被告吉山三郎は右同所同番地所在木造瓦葺平家四戸建建坪三十坪の内向つて右より二戸自一戸建坪七坪五合を、被告金子豊治は右同所同番地所在木造瓦葺平家四戸建建坪三十坪の内向つて左より二戸目一戸建坪七坪五合を、被告待井安衞は右同所同番地所在木造平家四戸建建坪三十坪の内向つて右側一戸建坪五合を被告古家光男は右同所同番地木造瓦葺平家建建坪三十坪の内向つて左より二戸目一戸建坪五合を、被告久保島長十郎は右同所同番地木造瓦葺平家二戸建建坪十八坪の内向つて左側一戸建坪九坪を、被告佐藤天朗は右同所同番地木造瓦葺平家建建坪十八坪の内向つて左側一戸建坪九坪を、被告鈴木武雄は右同所同番地木造瓦葺平家建坪十八坪の内向つて右側一戸建坪九坪を、被告中曾根将夫は右同所同番地木造瓦葺平家建建坪十八坪の内向つて右側一戸建九坪を、それぞれ明渡し被告湶松尾、宮尾柄沙、小塩寿年、小山市太郎、山崎喜六、甲田德男は昭和二十七年九月分より昭和二十八年六月分迄は各一カ月金二百七十円、同年七月分より明渡済に至る迄一カ月金四百六十九円、被告田畑武雄、吉山三郎、金子豊治、待井安衞は昭和二十七年九月分より昭和二十八年六月分までは各一カ月百六十八円、同年七月分より明渡済に至るまで田畑武雄、吉山三郎は各一カ月、金二百九十八円、金子豊治、待井安衞は各一カ月金三百九円、被告佐藤天朗、鈴木武雄、久保島長十郎、中曾根将夫は昭和二十七年九月分より昭和二十八年六月分迄各一カ月金二百八円、同年七月分より明渡済に至る迄は被告佐藤天朗、鈴木武雄は各一カ月金三百七十三円、被告久保島長十郎は一カ月金二百七十四円、被告中曾根将夫は一カ月金三百六十九円、被告古家光男は昭和二十八月十月分より明渡済に至る迄一カ月金百六十八円、右各割合による金員を支払え、
訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決竝びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として「原告は各種無線機電源の製造を業とする会社であるが昭和十九年中に下田市大字上田三千三百三十二番地の上田工場敷地内に社宅を新築し、内請求の趣旨記載の建物を被告らにそれぞれ左記日時に左記条件で貸与した
(1) 被告湶松尾には昭和二十年二月十四日貸与。使用料一カ月金十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(2) 被告宮尾柄沙には昭和十九年十一月六日貸与。使用料一カ月十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(3) 被告小塩寿年は昭和十九年九月二十六日貸与。使用料一カ月金十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(4) 被告小山市太郎には昭和二十年十一月十二日貸与。使用料一カ月十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(5) 被告山崎喜六には昭和十九年十月七日貸与。使用料一カ月金十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(6) 被告甲田德男には昭和十九年七月貸与。使用料一カ月十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。
(7) 被告田畑武雄には昭和二十年二月十九日貸与。使用料一カ月金七円五十銭。昭和二十四年五月より金三十五円。
(8) 被告吉山三郎には昭和二十一年二月一日貸与。使用料一カ月金七円五十銭。昭和二十四年五月より金三十五円。
(9) 被告金子豊治には昭和二十年五月二十日前記社宅の内木造瓦葺平家二戸建建坪二十四坪の内向つて左側一戸建坪十二坪を貸与。使用料一カ月金十二円。昭和二十四年五月より金五十七円。昭和二十七年三月右建物に代えて請求趣旨記載の建物貸与。使用料一カ月金三十五円。
(10) 被告待井安衞には昭和二十一年三月十二日貸与。使用料一カ月金七円五十銭。昭和二十四年五月より金三十五円。
(11) 被告古家光男には昭和二十一年一月十日貸与。使用料一カ月金七円五十銭。昭和二十四年五月より金三十五円。
(12) 被告久保島長十郎には昭和十九年九月十三日貸与。使用料一カ月金九円五十銭。昭和二十五年五月より金四十五円。
(13) 被告佐藤天朗には昭和二十一年一月十六日貸与。使用料一カ月金九円五十銭。昭和二十四年五月より金四十五円。
(14) 被告鈴木武雄には昭和二十年二月十九日貸与。使用料一カ月金九円五十銭。昭和二十四年五月より金四十五円。
(15) 被告中曾根将夫には昭和二十年七月十九日貸与。使用料一カ月金九円五十銭。昭和二十四年五月より金四十五円。
しこうして被告、湶、宮尾、小山、田畑、金子、久保島、中曾根、鈴木は、昭和二十年九月、被告山崎、待井、吉山、古家、佐藤は昭和二十四年六月十二日、被告小塩は昭和二十四年五月十六日それぞれ原告会社を退社した。思うに被告小山を除く他の被告らが本件各社宅をそれぞれ使用するのは、会社の従業員という団体の構成員たる身分に随伴して発生する特別の使用権に基きないしは従業員たる身分を前提とする使用貸借ないし賃借類似の無名契約に基くものであつてその使用関係は社宅貸与規則による規律を受け従業員たる身分を失うことにより当然その使用関係も終了するものであるから右被告らが前記日時それぞれ原告会社を退社と同時にその社宅使用権は消滅し、昭和二十五年十二月五日原告は各被告らに対し昭和二十六年二月末日限り本件、社宅を明渡すべき旨の意思表示がなされたので、同日の経過と共に被告らにそれぞれ明渡義務が発生した。また被告小山にはその退社後本件社宅を貸与したものであるが、これは同人が当時市内に借家していたところ、その家主より明渡を求められたので元従業員であつた情愛で、従業員に準じて前記住宅貸与規則を遵守する約の下に臨時一時的に貸与したものであるから右規則による規律を受け前記明渡請求がなされたことにより使用権は消滅し、前記日時明渡義務が発生したものである。しこうして仮りに被告主張の如く被告らの社宅使用関係は賃貸借契約関係であるとするも、被告小山には臨時一時的に貸与したもので一時使用の目的をもつた契約であるから借家法の適用を受けない。仮りに同人に対する契約が右一時使用の目的のものでないとし、被告ら全員に対する契約につき借家法の適用があるとするも、原告は本件家屋を社宅として原告会社従業員に居住さす必要があり、一部は東京本社に移築の計画もあり、その他財産整理の必要もあり被告らに明渡を求める正当事由があるから前記明渡請求の意思表示による六カ月の法定期間の終過と共に有効に契約は終了し被告らに明渡義務が発生した。なお原告は被告に対し昭和二十七年一、二月中ないしは同年十月十日いずれも口頭で明渡を求めているものである。」と述べ被告の抗弁事実を否認し被告古家については予備的請求原因として「昭和二十七年十月十八日原告は同被告と本件契約を合意解除し昭和二十八年三月三十一日を以つて明渡期限と定めた。
よつて右期限経過と共に同人に明渡義務が生じた」と述べ「以上の次第であつて被告らは本件各社宅につきそれぞれその使用権が消滅して何らの権限なきにも拘らず不法にこれを居住するものであるからその明渡、並びに被告古家については昭和二十八年十月以降、同人を除く他の被告らについては昭和二十七年九月以降、明渡済に至る迄それぞれ請求趣旨記載の各損害金の支払いを求めるため本訴請求に及んだ」と述べ
立証として甲第一号証、第二号証一ないし十二、第三号証、第四号証の一ないし十五、第五ないし第七号証を提出し、証人黒沢義夫(第一回ないし第三回)山本浩、石井汪、前島雄之助、中山彌、小林金次郎の各証言並びに鑑定人大井直次郎の鑑定の結果を援用し、乙第一号の成立を認めると述べた。
被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決並びに仮定的に担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、答弁として「原告の請求原因事実中その主張の日時、その主張の如き使用料を定めて原告が各被告に本件各社宅を貸与した事実並びに原告主張の日時、被告らがそれぞれ原告会社を退社した事実は認めるが、その余の事実は否認する。
しこうして被告らが右社宅を使用したのは、原告主張の如き使用権ないしは無名契約に基くものではなく民法に規定する賃貸借契約に基くものである。殊に被告小山は従業員としてでなく貸与を受けたものであるから身分を前提とする契約ということは出来ない。従つて借家法の適用があり社宅貸与規則の規律を受けるものではない。」と述べ、
仮定抗弁として「被告らについて仮りに当初においては賃貸借契約でなかつたとするも従業員たる身分を失つたとき新たに原被告間にそれぞれ期間の定めのない賃貸借契約が締結された。仮りにしからずとするも各被告につき本件社宅の使用料借上げのとき賃貸借契約が成立した。そして仮りに、原告においては、被告らに解約の意思表示がなされたとするも右の如く本件契約は賃貸借契約であるから借家法の適用を受け、明渡の請求をなすについては正当の事由が存在しなければならないところ、元来被告らが原告会社を退社せしめられたのは、原告会社が戦後事業を縮少するに際して再び事業を拡張する際は優先的に採用するから、その時迄待期するという約束のもとに涙をのんで退社したものである。そして現在の緊迫した住宅事情下において原告が被告らに明渡を請求することは両者の資力関係、被告らの家族関係を考慮して許されないところである。右の如く原告には明渡についての正当の事由が存在しないから原告のなした解約申入もその効力は発しない。従つて原告の請求は失当である。」と述べ立証として、乙第一号証を提出し、証人小山佐市、古家保美の証言、鑑定人大井直次郎の鑑定の結果並びに被告小山市太郎、湶松尾、山崎真六、田畑武雄、金子豊治、待井安衞、吉山三郎、古家光男(第一回及び第二回)久保島長十郎、佐藤天朗、中曾根将夫、宮尾柄沙、甲田德男の各供述を採用し、甲第一及び第七号証は不知、第二号証の一ないし十二は各被告名下の印影のみ認めその余は不知、その余の甲各号誌は成立を認め第三号証、第四号証の一ないし十五、第五号証をそれぞれ利益に援用すると述べた。
理由
原告がその主張の日時よりそれぞれ本件社宅を被告らに使用せしめた事実は当事者間に争いがない。原告は被告らが本件社宅を使用するのは団体の構成員としての従業員たる身分に随伴して発生する特別の使用権ないしは無名契約に基くものであつて、その使用関係は社宅貸与規則の規律を受ける旨主張し、被告は右事実を否認し社宅の使用といえども原被告間に成立した賃貸借契約に基き被告らは本件社宅を使用するものである旨主張するから右主張の当否につき考察する。一般に社宅とは本来会社がその従業員に使用せしめるために建設せられた建物であることは勿論であるが、しかしその社宅を使用すべきものは従業員たる身分を取得することによつて換言すれば会社と雇傭契約を締結することによつて、外に何らの意思表示をも要せず当然その会社の所有する社宅の使用権を取得するものではなく、社宅を使用するためには更に会社との間に別個の契約を結ばなくてはならないのである。しかも従業員が右契約の申込みを会社に対してなした場合に会社はこれを承諾すべき義務を負うものではない。かくしてみれば、社宅使用について、雇傭契約の締結より生ずる使用権なるものはこれを考えることは出来ず、むしろ社宅所有者たる会社と社宅使用者たる従業員間の契約に基くものと考えられる。これに対しては更に社宅の使用関係は団体法的色彩を帯びるものであつて、団体員が団体内部に定立せられた制度ないしは施設を利用する関係にあり、この関係は団体内部の組織規則つまり社宅貸与規則に従う状態ではないかという疑問も生ずる。しかし社宅貸与規則なるものは単に、社宅使用の内容を規律するに留り、右規則による従業員の社宅使用権が発生するものとは考えられないし、右規則の性質についても個々人が団体を組織し集団生活を営む場合、その団体内部において諸種の規則なるものが存在することはありうるものであるが、それらが、その団体を構成する各人を拘束するのは、各人がこれに従うことを合意しているから、ないしは法律に基き、各人がそのような規則に従うことを義務づけられている場合なのである。そして社宅の使用に関する社宅貸与規則なるものは特に法律に基くものであるとは認められないのであつて、従業員が右規則に従うのは従業員と会社との合意に基くからであるに過ぎない。従つて右規則に従うからと言つてたゞちに社宅の使用関係が契約に基くものでないとはいえない。しこうして証人黒沢義夫の証言により真正に成立したと認めらる甲第一号証原告会社作成の職員工員住宅貸与規則についてみても、本件社宅の使用は前記の如く一般社宅の使用と同様、原被告間の使用契約に基くものであると認定することが出来る。しからば右使用収益が無償でなされる場合は使用貸借契約であり、対価の支払いが反対給付として約束されている場合は賃貸契約であると言えよう。
勿論所有者たる原告は自己と雇傭契約を結んだものにのみ使用せしめる意思を有することは前述の如くであるが、しかし前述の如く雇傭契約の存在が、使用契約締結の前提となつているものの雇傭契約の締結により当然使用関係が形成されるものでもなく、且つまた雇傭契約の締結が使用契約の締結を義務づけるものでもないのであるから、他の契約と混合せる無名契約であるということは出来ない。しこうして本件社宅の使用につき被告らより原告に毎月一定の使用料(昭和二十四年四月迄は、(イ)建坪十二坪の社宅について十二円、(ロ)建坪九坪の社宅については九円五十銭、(ハ)建坪七坪五合の社宅については七円五十銭、同年五月よりは、(イ)については五十七円、(ロ)については四十五円、(ハ)については三十五円、)支払うべきことの合意が成立していた事実は当事者間に争いがない。右使用料の性質については証人黒沢義夫は社宅は従業員のための福利厚生施設であつて、これを利用しない従業員との均衡上一般市価の賃料の半額程度のものを徴収しているに過ぎない旨証言する。しかし鑑定人大井直次郎の鑑定の結果によれば、右各社宅の賃料は、昭和二十四年四月及び五月当時においては、(イ)については四十二円二十四銭、(ロ)については三十一円六十八銭、(ハ)については二十六円四十銭、昭和二十年当時においては、(イ)については八円、(ロ)については五円、(ハ)については四円、昭和二十一年当時においては、(イ)については十二円、(ロ)については九円、(ハ)については七円五十銭、各相当である事実を認めることが出来、これを前記原被告間の契約により定められた使用料と比較してみると、昭和二十四年四月及び五月当時においては若干の差が認められるけれども昭和二十年及び二十一年当時においては、却つて本件社宅の使用料の方が高額ですらある事実を認めることが出来、更に証人黒沢義夫、山本浩の各証言により認められる本件社宅の小修繕は居住者たる各被告の負担においてなされている事実、被告田畑武雄、待井安衞の各供述により認められる原告会社従業員には住宅手当なるものが支給されているが、社宅居住者には右手当は支給されない事実等を綜合すれば、前記使用料は、前記証言の如く単に他の従業員との均衡上徴収されているものとは認めがたく且つ社宅使用についての通常の必要費の範囲を越えて、使用と対価関係に立つものであると解するを相当とする。そうだとすると本件社宅の使用については、原被告間にそれぞれ期限の定めのない賃貸借契約が締結されていたものである事実を認めることが出来、右認定をくつがえすに足る証拠はない。従つて右賃貸借契約が従業員たる身分を前提とする契約であつても借家法の適用を受けることは勿論である。そして原告会社の職員、工員、住宅貸与規則は前述の如く法律の委任に基き作成されたものであるとは、認められないのであるから、右規則中の借家人にして当社従業員の資格を失いたる時は無条件にてその日より十日以内に退却する旨の規定は、右借家法の規定に違反するものであつて、効力がない。
しこうして成立に争いない甲第三号証並びに証人黒沢義夫の証言によれば、原告は昭和二十五年十二月五日頃、各被告に対して、書面を以つてそれぞれ本件社宅の明渡を求めている事実を認めることが出来、右認定をくつがえすに足る証拠はない。そして右明渡の請求は前記賃借契約解約の意思表示と解されるから、明渡を求めるにつき正当な事由が存在するかどうかについて考えねばならない。もつとも原告は被告小山については単に一時使用のため賃貸したものであるから、借家法の適用は受けない旨主張し、証人黒沢義夫は被告小山には同人が原告会社を退社直後その残務整理の期間中に限つて社宅を賃貸したものである旨証言する。しかし右証言を以つてしても同人との契約が借家法にいう一時用のための契約であるとは認めることは出来ず、他に右原告主張の事実を認めるに足る証拠はない。よつて正当の事由の存否について考察するに、証人小林金次郎、黒沢義夫、山本浩の証言を綜合すれば各被告らに解約の意思表示をなした昭和二十五年十二月五日頃において、原告会社の従業員中、居宅の欠乏、交通不便の緩和等の事由により訴外温井安喜他二名の者が本件社宅の使用を希望し原告はこれらの者を社宅に居住せしめる必要が存在していた事実を、また証人山本浩、石井汪、の各証言を綜合すれば原告会社は東京に本社を有し百三十名位の従業員が勤務するに拘らず、そのための社宅の数は極く少く、その住宅不足を補うために本件社宅の裡の一部を東京に移動する必要に逼られている事実を認めることが出来、右認定をくつがえすに足る証拠はない。しこうして右東京へ移動すべき社宅の数量についてはこれを認定すべき資料はないが、最少限度一戸は考えられるところであるから、結局本件解約申込み当時、原告においては少くとも四戸の住宅を新しく従業員をして使用せしめる必要を有していたものと認められ、そして証人黒沢義夫、中山彌、小林金次郎の各証言によれば、従業員が本件社宅を使用することは、ただに従業員の住居の安全を確保するのみでなく、社宅が工場の近隣に設置せられていることより交通費の節約その他賃金の不足を補い、更に作業能率の向上に役立つこと大なるものがあると共に、他方原告会社自身にとつても生産能率の向上、施設の災害防止に役立つところ大なるものがある事実を認めることが出来、右認定をくつがえすに足る証拠はない。これに対して被告湶松尾、宮尾抦沙、小塩寿年、小山市太郎、山崎喜六、甲田德男、田畑武雄、吉山三郎、金子豊治、待井安衞、古家光男、久保島長十郎、佐藤天朗、中曾根将夫らの供述によれば右被告らはいずれも移転資力ないしは移転先に事欠く状態である事実は認めることが出来るし、また被告小山市太郎、湶松尾、田畑武雄、金子豊治、吉山三郎、山崎喜六、佐藤天朗、久保島長十郎、中曾根将夫らはいずれもその退職に際して、当時の原告会社上田工場工場長より将来企業拡張に際しては再び雇傭する旨告げられ、その言を信じた旨供述する。そして右供述より昭和二十年九月及び昭和二十四年六月被告らがそれぞれ退職するに際して当時の工場長はそれぞれ右の如き趣旨の挨拶を述べた事実は認めるに難くないが、しかし被告吉山三郎、佐藤天朗、久保島長十郎の各供述によれば、右工場長の言葉は退職者個々人につき特に個別的に与えられたものでなく一堂に会して一般的に述べられたものである事実を、また証人黒沢義夫の証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、右退職者たる被告らは誰一人として現在に至るも再雇傭されていないのみか、将来においても雇傭する意思を原告会社は持つていない事実を認めることが出来、右事実より前記工場長の再雇傭の約束なるものは退職者を納得させるための一辺の儀礼的挨拶に過ぎなかつたものである事実を推認することが出来ると共に他方被告らとしても待井安衞、佐藤天朗、甲田德男らの希望退職者はもとより右以外の者逹とても、昭和二十年九月に第一次解雇があり、以来満三年近くも経た昭和二十三年六月に至るも右被解雇者らは再雇傭されないのみか、更に多量の退職者さえある状態を知つていた事実は弁論の全趣旨より被告の自認するところと認められるから、むしろ被告らは原告会社が解雇した被告らを再び雇傭する意思を持たない事実を本件解約の申入れがあるまでもなく、当然察知していたものと推認出来る。かゝる被告の事情を比較して考察すれば、社宅に従業員以外の者が居住する場合、所有者たる会社がその営業資金獲得のため売却処分の必要上明渡しを求めるのは正当の事由に基くものとは認められないが、従業員において社宅使用の希望を有し、これがため原告がこれらの者に社宅を使用せしめる必要に基き、解約の申入をなすことは、これらの居住者は住宅が元来その会社従業員たる資格を有する者を収容する施設であること、従つて自己の社宅利用の状態が一時的暫定的なることを承知している筈であり、且つ前記認定の如き社宅利用の効用を考えれば、前記認定の如き被告側の事情、主として移転先ないし移転資力がないというような事情があつたとしてもその解約申入は正当事由に基くものといえる。従つて原告は被告らに賃貸した社宅のうち四戸の社宅についてのみは、明渡を請求する正当事由があるものと認められる。そして前記各証拠によれば右正当の事由は引き続き六カ月間存続していたものと認められるから、その期間の満了日なる昭和二十六年五月四日頃の経過と共に後に述べる如く一部の被告についてそれぞれ解約の効果が発生したものといえる。
もつとも証人中山彌、小林金次郎、黒沢義夫、山本浩は原告会社の従業員中社宅を希望していたのは単に右三名に留まらず、被告らの数を上まわり十五名以上はいた旨ないしは社宅が空いた場合には社宅使用の希望者は增加する旨主張する。しかし証人山本浩、黒沢義夫の証言により認められる原告会社上田工場の従業員総数は、工場長以下八十三名である事実、証人黒沢義夫の証言により認められる社宅総数は五十一戸である事実、被告田畑武雄、待井安衞の各供述より認められるが、原告会社従業会員中社宅利用者以外の者には、住宅手当を支給していた事実及び証人黒沢義夫の証言(第三回)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、原告会社は従業員中の原告主張の如き多数の者が社宅を使用したいという希望を持つていたことは認めることは出来ず、前記各証言はにわかに措信しがたい。
また証人黒沢義夫の証言により真正に成立したと認められる甲第七号証並びに証人黒沢義夫の証言によれば、原告会社は昭和二十九年一月十日付でその職制が一部変更され、東京本社より多数の従業員が上田工場へ転勤してくるので、これらに対し本社社宅を使用せしめると共に最近新たに採用した若干の従業員を同年三月より本件社宅に居住せしめる必要あり、従つて口頭弁論終結当時においては四戸以上の社宅を必要としている事実はこれを認めることは出来るが、しかし右事情はいずれも右認定の如く最近発生したものであつて口頭弁論終結当時においては未だ六カ月の期間を経過していないものである。
思うに前記認定の原告の被告らに対する解約の意思表示の効力が本訴により維持されているとしても、解約の効果が発生するためには明渡しを求めるについての正当の事由の存在が六カ月間継続することを要するは勿論であるから、前記認定の事実があるとて将来はともかく現在においてはこれを正当の事由についての判断の資料とすることは出来ない。しかし右認定の如く原告は現在においても四戸の社宅はこれを必要とするのであるから、被告らのうち四名については、前記解約の効果に基き明渡義務を負うべきところ後に述べる如く被告古家については原告との間に社宅を明渡すべき合意が成立しているのであつて、右合意解除の効果として同被告はその居住する社宅を明渡すべき義務を負つているので、右事実より原告は三戸の社宅の明渡を受けることにより、その必要性は充足されることになる。以上の次第であるから結局被告らのうち三名の被告は前記原告の解約の申入れに基き賃貸借契約は消滅し原告に対しその社宅を明渡すべき義務を負うことになる。そして右三名については原告においてこれを選択しないのであるから、被告らのうちよりその家族の構成職業の態様等を考慮して被告田畑武雄、久保島長十郎、小塩寿年が明渡義務を負うものと解するを相当する。
右三名は昭和二十六年五月以降不法に本件住宅を占有しているのであるから、原告が右社宅の使用収益を妨げられることより蒙る賃貸相当額の損害を支払う義務があるところ、右日時以降昭和二十七年八月までの損害については既に原告に対して賠償されてある事実は原告の自認するところと弁論の全趣旨より認められるから、同年九月以降の損害について、右三名は原告に賠償すべき義務がある。しこうして右社宅の相当賃料は鑑定人大井直次郎の鑑定の結果によれば昭和二十七年九月以降昭和二十八年六月までは被告小塩寿年の社宅については一カ月金二百七十円、被告久保島の社宅については一カ月金二百十一円、被告田畑の社宅については一カ月金百六十八円、同年七月以降は被告小塩の社宅については一カ月金四百六十九円、被告久保島の社宅については一カ月金三百七十四円、被告田畑の社宅については一カ月金二百九十八円、である事実を認めることが出来るから右被告らは原告に対しそれぞれ昭和二十七年九月以降本件社宅明渡済に至るまで前記賃貸料相当額の各損害金の支払いをなすべき義務がある。
次に原告は被告古家光男に対し昭和二十七年十月十八日原告と右被告間における社宅の賃貸借契約を合意解除し明渡期日を昭和二十八年三月三十一日とする契約が成立した旨主張し、右被告は右事実を否認するから考察するに、証人黒沢義夫の証言(第二回)によると本訴の提起後たる昭和二十七年十月十六日ないし十七日頃当時原告会社上田工場の庶務主任として原告会社より本件社宅明渡の件に関する一切の行為につき委任を受けていた黒沢義夫と被告古家との間に同被告の本件賃貸契約を解除し、昭和二十八年三月三十一日までにその社宅を明渡す旨の合意が成立した事実を認めることが出来、右認定に反する被告古家光男の供述は措信しがたく、両当事者間に争いがないところと認められる。原告と、被告古家間に明渡についての裁判上の和解は遂に成立しなかつた事実ないしは他の証拠を以つてしても右認定をくつがえすことは出来ない。しからば被告古家は原告との賃貸借契約を合意解除したものであるから、本件社宅に居住する権限を有せず原告に対してこれを明渡すべき義務があると共に昭和二十八年四月以降不法に本件社宅を占有しているのであるから、原告が右社宅の使用収益を妨げられることにより蒙る賃貸相当額の損害を支払う義務があるところ、右日時以降同年九月までの損害については既に原告に対して賠償されてある事実は原告の自認するところと弁論の全趣旨より認められるから、同年十月以降の損害について原告に賠償すべき義務がある。しこうして右社宅の相当賃料は鑑定人大井直次郎の鑑定の結果によれば、同年十月以降一カ月最少限度金二百九十八円である事実を認めることが出来るから、被告古家は原告に対し昭和二十八年十月以降本件社宅明渡済に至るまで右賃貸料相当額の損害金の支払いをなすべき義務がある。以上の次第であるから原告の本訴請求中被告小塩、同田畑、同古家、同久保島に対しその居住する前記各社宅の明渡を求め且つ被告小塩、同田畑、同久保島については昭和二十七年九月以降、被告古家については昭和二十八年十月以降それぞれ右社宅明渡済に至るまで前記各割合による損害金の支払いを求める部分(但し被告久保島については原告は昭和二十七年九月以降昭和二十八年六月までは一カ月金二百八円、同年七月以降は一カ月金二百七十四円の割合において、被告古家については原告は一カ月金百六十八円の割合において請求するのであるから、右範囲内において)は正当であるからこれを認容しその余の部分は失当であるからこれを棄却し仮執行宣言の申立は相当ならずと認めてこれを却下し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 增山頴 裁判官 鈴木敏夫 裁判官 宇野栄一郎)